あだちのりふみ
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プロフィール
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あだちのりふみ
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ ✑○イラスト ✑□広告作業
1959年ー埼玉県出身
1983年ー東京藝術大学大学デザイン科卒
同年広告代理店(株式会社 電通)入社 アート採用
○第4回日本グラフィック展入選
1984年ー□第51回毎日広告デザイン賞特選三席
銀座:シロタ画廊にてグループ展
○第2回日本イラストレーション展入選
□第24回消費者のためになった広告コンクルール優秀賞
自費出版「ENBAN USAGI」
1985年ー○第14回日本漫画家協会賞優秀賞「ENBAN USAGI」
https://nekofuri2.hatenablog.com/entry/2025/07/02/144908
1987年ー□第1回読売ユーモア広告大賞新聞広告入賞
自費出版「ENBAN USAGI2」
1988年ー○第2回読売ユーモア広告大賞漫画・イラスト部門最優秀賞
偕成社:月刊MOE別冊コミックモエ5/4/6号「ENBAN USAGI 」掲載
https://nekofuri2.hatenablog.com/entry/2025/07/21/103533
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%A81988%E5%B9%B410%E6%9C%88%E5%8F%B7%EF%BC%88%E6%9C%88%E5%88%8AMOE1%E6%9C%88%E5%8F%B7%E5%88%A5%E5%86%8A-No-5%E2%97%86%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E7%B4%80%E5%8F%B2-ENBAN-USAGI-MINI-BOOK%EF%BC%89%E2%97%86%E9%B4%A8%E6%B2%A2%E7%A5%90%E4%BB%81%E3%80%8C%E5%B7%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%80%8D-%E8%8C%82%E6%9C%A8/dp/B086QNVKFM
1988年ー○第10回読売国際漫画大賞佳作
1991年ー□第20回フジサンケイグループ広告大賞雑誌広告賞銅賞
□44th広告電通賞 第1部門賞
□ニューヨークフェスティバル銀賞
□クリオ賞グラフィックキャンペーン部門入賞
□日経広告賞部門賞
1994年ー□東京新聞:第7回読者が選ぶ東京新聞カラー広告大賞 最優秀賞
2019年ー12月:広告代理店定年退職〜シニア勤務を経て2021年12月退社
2021年ー谷川俊太郎氏と共同製作絵本「どーも」をクレヨンハウスから出版
https://www.crayonhouse.co.jp/shop/g/g9784861013959/
創作年表
描かない線を引くまでの、僕の創作年表
──海外漫画に出会い、描き、混ぜ、削ってきた50年
■1959年〜 視覚文化への入口としてのテレビ
上皇陛下(当時皇太子)のご結婚を機に、テレビが急速に普及。
我が家も“便乗購入”し、黎明期のTVアニメを観て育った。
典型的な“テレビっ子”として、視覚とストーリーに耽溺していく。
■1971年〜(中学時代) チャールズ・M・シュルツ/Charles M. Schulz
NHKで『ピーナッツ』アニメシリーズが放送。
その洋風様式美に人生ごと飲み込まれる。
●のちの画風の基礎、世界との距離感、間(ま)への感覚は、ここで確定した。
■1972年〜 モート・ウォーカー/Mort Walker
ディック・ブラウン/Dik Browne(Hi and Lois)
株式会社ツル・コミック社の単行本と、月刊「スヌーピー」の購読を開始。
立ち読みしていた姉妹誌「Woo」ではさまざまな海外作家を知る。
● にこまんがとえんばんうさぎの線は、この時期ここから生まれている。
■1974年〜 レイモン・ペイネ/Raymond Peynet
アニメ映画『ペイネ 愛の世界旅行』で、アメコミとは異なるリリカルな洋風様式美に心奪われる。●
漫画表現からイラストレーションへの思考転換が始まった時期。
■1975年〜(高校時代) ウィンザー・マッケイ/Winsor McCay ロバート・クラム/Robert Crumb
アンディ・ウォーホル/Andy Warhol 月刊『ビックリハウス』を通じて、アンダーグラウンド漫画に出会う。
マッケイの構成美とクラムの雑味に打たれ、コマ割りそのものへの意識が大きく変化。
● 「構成」としての漫画表現に完全に開眼した時期。
■1979年〜(大学時代)ソール・スタインバーグ/Saul Steinberg H・M・ベイトマン/Henry M. Bateman
銀座の洋書店「イエナ書店」に通いつめ、洋書を探し漁る日々。
植草甚一『ぼくの大好きな外国の漫画家たち』を片手に、現地調達の感覚で「線」を探していた。
● 日本の漫画作画レベルが上がり、イラストレーションとの差が縮まり始める。
■1983年〜(会社時代)アントニオ・ルビノ/Antonio Rubino
リオネル・ファイニンガー/Lyonel Feininger
アル・ハーシュフェルド/Al Hirschfeld
テックス・アヴェリー/Tex Avery(アニメーター)
広告会社入社。海外ロケ先で出会った日曜版アメリカ新聞漫画の美しさに衝撃を受ける。
● このときの色彩体験が、今の色づかいの根源。
特に20世紀初頭の新聞コミックへの興味が強まり、個人的研究が始まる。
■2000年〜2025年(ネット時代)ニッチと接続するネット時代
ニコール・ランバート/Nicole Lambert
ジム・ウッドリング/Jim Woodring
ヨゼフ・チャペック/Josef Čapek(チェコの画家)
SNSとECの普及で、世界中のニッチな漫画家の作品に容易にアクセスできる時代へ。
だが、この時期に出会った作家たちからは“文化的衝撃”はあまり受けていない。
情報はあるが、血にはならない。
カルチャーショックは、やはり“会ってしまった過去”のほうに強く存在している。
※ここに挙げきれなかった作家、日本の作家たちもたくさんいます。
けれど、自分にとって決定的な「異物との出会い」は、外国漫画家から受けたものが多かったのは確かです。
それらが時間の中で沈殿し、線になり、余白になり、今の《にこまんが》や《えんばんうさぎ》に、なにかのかたちで溶け込んでいると感じています。
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